宮城県南三陸町志津川の方々に食事を提供しました。
2HJは毎週土曜日に東京の上野公園で炊き出しを行っていますが、
今回は現地からの要望により初の “出張炊き出し”が実現しました!
志津川近辺の建物は、津波の影響で壊滅的な被害を受けましたが、
高台にある生活センターは無事残りました。
周辺に住む方々にとってセンターは物資の分配や炊き出しだけでなく、
情報交換や話し合いの場としても重要な場所となっています。
この地域は、未だ水道と電気が通っておらず各自で料理ができないことから
センターでは毎日朝食と夕食が提供されています。
約20名はセンターで食事をしますが、ほか150〜200名は、
自宅、共同で生活している家や別の避難所へ持ち帰ります。
地震後毎日地元の方々が当番制で食事を作っていますが、
食材や物資も限られている中で毎日約200名の食事を提供するのはとても大変です。
2HJ炊き出しチームは、現地で手に入りにくい野菜、魚、納豆、デザートや果物を
トラックに積んで現地へ向かいました。
夕食時に提供したデザートのケーキはとても喜ばれました。
「震災後は誕生日のお祝いをしていなかったけど、
いただいたケーキでささやかな誕生日会ができた」と言っていただきました。
志津川で生まれ育ったおばあちゃん達は、朝食の玉葱入りクリームスープを
「生まれて初めて食べた」と珍しそうに食べて、
それから昔に給食で飲んだ脱脂粉乳の話をしていました。
私たちができることはほんの小さなことでしたが、
一時だけでも震災の話から食べ物の話題に移ったことが嬉しかったです。
志津川では元々センターを中心に人と人との繋がりがあったからこそ、
全てを失ってしまい不安な中でも支え合い元気に生活できていると思います。
ひとつの大きな家族のようなところに、
私たちを温かく受け入れてくださった志津川の皆様に感謝いたします。
2HJボランティアコーディネーター 高原 恵
※ センターでの炊き出しは終了しましたので、現在ボランティアは募集しておりません。
2HJボランティア園田さんより:
東日本大震災におきまして、被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申しあげるとともに、
犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみを申しあげます。
さて今回三度目の被災地支援活動となるが被災者の方々に実際お会いするのは初めての事だ、
どういう対応や会話をすれば良いのかなどと当初戸惑っていたが、すぐにうち溶けた。
今回お世話になった施設は公民館の様な所で集会所や小さな部屋があり炊事場もある、
水道、電気は遮断、ガスはようやくプロパンの設備で守られている、
私など水が出ないと解っていても、
ついつい蛇口に手が出るし電気のスイッチを押してしまう、
便利すぎる生活に溺れていたのが今回良く分かった、
皆さんと同じ生活を経験し特にそのことを感じる。
色々お話を聞く機会があった、、、ある主婦、
七分前までネットショッピングをしていて気がつけば、
車、家、街、が無くなっていたそして家族、
畑にいて下に見える家が流されるのを呆然と見るしかないおばあちゃん、
当たり前の生活が一変しどうしようもなくこの場所に集う、
でもとにかく明るい方々だったのでこちらも自然とそんなペースに巻き込まれていた、
その明るさの裏には我々が想像する以上の先程のような悲惨な事実を
それぞれお持ちになっている。
三日間だったけど炊き出しを通じて元気をお裾分け出来たかな?
村の方達が「なつこちゃん、こゆきちゃん」などと
みんなニックネームで呼びあうくらいコミュニティーが
完成し皆で協力し助け合っておられた。
色んな考えもあるが是非これからも協力して復興していってくださることをお祈りします。
そして継続的に今後もお手伝いが出来ればと考える。
2HJボランティア渡邊先生より:
気の合う仲間と充実感ある活動での2泊3日でした。
困難な中で明るさを保ち、快く受け入れてくれた現地の人たちとの触れ合い、電気が使えず、
水も不自由な生活は便利さに慣れ過ぎた自分を考え直すよい機会になりました。
50年振りのつるべ井戸で懐かしさと楽しさも味わえました。また、行きたいです。
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