2011/06/07
6/4(土)南相馬での物資配給の様子(ビデオ)
2011/06/04
沖縄県宮古島から始まった黒糖プロジェクト
2011/05/27
南相馬で物資配布を行いました
今回は3台のトラックで生鮮食品(野菜、ウインナー、卵)、
2011/05/25
ボランティアストーリー:インターナショナル・セカンダリー・スクール(ISS)
セカンドハーベスト・ジャパンでは、こうしていただいた募金は被災地への食料や物資提供のために使わせていただきます。
ISS 、東京インターハイスクールをはじめ、こうした募金活動で支援を行っている多くのボランティアの皆さまに心から感謝申し上げます。皆さまの善意は、セカンドハーベスト・ジャパンがしっかりと必要とする方達に届けます。
2011/05/12
宮城県南三陸町で炊き出しをしました!
宮城県南三陸町志津川の方々に食事を提供しました。
2HJは毎週土曜日に東京の上野公園で炊き出しを行っていますが、
今回は現地からの要望により初の “出張炊き出し”が実現しました!
志津川近辺の建物は、津波の影響で壊滅的な被害を受けましたが、
高台にある生活センターは無事残りました。
周辺に住む方々にとってセンターは物資の分配や炊き出しだけでなく、
情報交換や話し合いの場としても重要な場所となっています。
この地域は、未だ水道と電気が通っておらず各自で料理ができないことから
センターでは毎日朝食と夕食が提供されています。
約20名はセンターで食事をしますが、ほか150〜200名は、
自宅、共同で生活している家や別の避難所へ持ち帰ります。
地震後毎日地元の方々が当番制で食事を作っていますが、
食材や物資も限られている中で毎日約200名の食事を提供するのはとても大変です。
2HJ炊き出しチームは、現地で手に入りにくい野菜、魚、納豆、デザートや果物を
トラックに積んで現地へ向かいました。
夕食時に提供したデザートのケーキはとても喜ばれました。
「震災後は誕生日のお祝いをしていなかったけど、
いただいたケーキでささやかな誕生日会ができた」と言っていただきました。
志津川で生まれ育ったおばあちゃん達は、朝食の玉葱入りクリームスープを
「生まれて初めて食べた」と珍しそうに食べて、
それから昔に給食で飲んだ脱脂粉乳の話をしていました。
私たちができることはほんの小さなことでしたが、
一時だけでも震災の話から食べ物の話題に移ったことが嬉しかったです。
志津川では元々センターを中心に人と人との繋がりがあったからこそ、
全てを失ってしまい不安な中でも支え合い元気に生活できていると思います。
ひとつの大きな家族のようなところに、
私たちを温かく受け入れてくださった志津川の皆様に感謝いたします。
2HJボランティアコーディネーター 高原 恵
※ センターでの炊き出しは終了しましたので、現在ボランティアは募集しておりません。
2HJボランティア園田さんより:
東日本大震災におきまして、被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申しあげるとともに、
犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみを申しあげます。
さて今回三度目の被災地支援活動となるが被災者の方々に実際お会いするのは初めての事だ、
どういう対応や会話をすれば良いのかなどと当初戸惑っていたが、すぐにうち溶けた。
今回お世話になった施設は公民館の様な所で集会所や小さな部屋があり炊事場もある、
水道、電気は遮断、ガスはようやくプロパンの設備で守られている、
私など水が出ないと解っていても、
ついつい蛇口に手が出るし電気のスイッチを押してしまう、
便利すぎる生活に溺れていたのが今回良く分かった、
皆さんと同じ生活を経験し特にそのことを感じる。
色々お話を聞く機会があった、、、ある主婦、
七分前までネットショッピングをしていて気がつけば、
車、家、街、が無くなっていたそして家族、
畑にいて下に見える家が流されるのを呆然と見るしかないおばあちゃん、
当たり前の生活が一変しどうしようもなくこの場所に集う、
でもとにかく明るい方々だったのでこちらも自然とそんなペースに巻き込まれていた、
その明るさの裏には我々が想像する以上の先程のような悲惨な事実を
それぞれお持ちになっている。
三日間だったけど炊き出しを通じて元気をお裾分け出来たかな?
村の方達が「なつこちゃん、こゆきちゃん」などと
みんなニックネームで呼びあうくらいコミュニティーが
完成し皆で協力し助け合っておられた。
色んな考えもあるが是非これからも協力して復興していってくださることをお祈りします。
そして継続的に今後もお手伝いが出来ればと考える。
2HJボランティア渡邊先生より:
気の合う仲間と充実感ある活動での2泊3日でした。
困難な中で明るさを保ち、快く受け入れてくれた現地の人たちとの触れ合い、電気が使えず、
水も不自由な生活は便利さに慣れ過ぎた自分を考え直すよい機会になりました。
50年振りのつるべ井戸で懐かしさと楽しさも味わえました。また、行きたいです。
2011/05/11
ダニエル・カールさんが2HJ事務所にやって来ました!
| 荷物の積み込みをするダニエルさん |
| 2HJスタッフとがっちり握手 |
メディアでは震災後に多くの外国人が母国に帰ったとの報道がされていました(様々な事情がありやむを得ないことで、後ろめたさを感じる必要は全くないと思います)一方で、日本に留まることを決意し日本の復興支援のために日々活動している外国人も多くいます。(2HJのオフィスにもすでに数百人の外国人ボランティアがお手伝いに来ています)
震災後には日本へ向けて「You are not alone」や「You’ll never walk alone」などのメッセージが世界中から寄せられました。日本は多くの外国人にも支えられているということを今回の経験からあらためて教わりました。
次は日本がひとつになり、支援してくだった方々へ日本が復興した姿を1日で
も早く見せられるように2HJもフードバンク活動として今後も被災地へ食品を
届けていきます。
2011/04/29
ボランティアストーリー:ウォルフガング・ビエラーさん
私の個人的な支援活動は、大阪空港からドイツに帰る飛行機を待っていたところから始まりました。私は、日本を離れるのがとても悲しく、ドイツにいる間に何かできることをやろうと決めました。まずドイツの地元の新聞社にコンタクトし、ドイツで何か日本のためにしたいので、支援して欲しい旨を伝えました。震災発生から一週間後、ドイツに到着し、震災支援用の口座を作りました。その週の土曜には私のことが記事に載りました。口座には、募金が集まり始め、震災支援用に作った私のメールアドレスには、数百もの問い合わせがくるようになりました。フェースブックのRebuild Japanというグループに参加し、このページから情報を配信しました。さらに、多くの企業や私の地元の教会、商店などのコミュニティー、私の母校などに連絡し、募金を募りました。教会や地域の商店主の集まりなどで講演をしました。私の知り合い全員にメールを送り、彼らの友達や会社にさらにこの活動について広めてくれるようにお願いしました。その結果、非常に多くの方から反響をもらいました。最後に確認したところでは、650万円以上が寄付されていました。そしてさらに幸運なことに、私の近所の方が、ストゥットガルト・オーケストラがチャリティーコンサートを開くが、支援先プロジェクトを探しているという情報が新聞に出ているのを教えてくれました。コンサートのオーガナイザーに早速、次の朝に電話し、コンサートに招待されました。チャリティーコンサートでは、2000人もの聴衆の前で、支援を訴え、2HJのための募金を募ることができました。このイベントからは、750万円以上が集まりました。合計で1400万円以上を5週間で集めることができたのです。
2HJ理事長チャールズ・マクジルトン(左) とウォルフガング・ビエラー |
野外で物資の配給をおこないました。 |
緊急車両証をつけた2HJのトラック |
石巻の被災地 |
| 石巻の被災地 |
石巻の避難所の近くで |
ウォルフガングさんが荷物をおろしているところ |


















