2011/04/02

4/1(金)震災発生からこれまでの2hjの動き

 セカンド・ハーベストジャパン(2hj)では、東日本大震災発生直後から、被災地への支援に乗り出しました。被災地では食糧はもとより、石油などの燃料が不足し、多くの人々が寒さと空腹に苦しんでいましたが、地震によって道路が封鎖され、思うように物資が届けられない状態が続いていました。

そんな状況の中、2hjでは、スタッフが地震発生3日目にCNN取材クルーに同行して現地入りすることで、緊急車両用ナンバーを取得し、いち早く現地への配送に繫げることができました。

また、2hjには、震災直後から、食品関連企業をはじめとするさまざまな企業の皆さま、個人の皆さまより、たくさんの支援物資を届けていただきました。いただいた物資を仕分け、トラックに積み込む作業にも、連日大勢のボランティアの方が駆けつけてくださり、4トン貨物車(常温車、冷凍冷蔵車)2台を連日、被災地に向けて走らせることができています。4月1日現在、トラック25台分の物資を現地へ届けた計算になります。

さらに、16日には、2hjのパートナーである「ふうどばんく東北AGAIN」や「仙台ワンファミリー」と連携して、仙台市内に「2HJ災害対策室」を設置。その後も宮城県の石巻市や登米市、福島県のいわき市や新地町、岩手県の大船渡市などにも物資配送や情報収集の為の拠点を置いて、支援が行き届かない地域の人々へのきめ細かい対応を目指し奔走しています。

今後も引き続き、企業の皆さま、個人の皆さまからの物資の提供を受け付け、被災地への物資の配送を続けていきます。2hjはこれまで行ってきたフードバンク、炊き出し等の活動を続けながら、被災者への「緊急支援」とそれに続く、生活・復興支援にともなう「食料支援」を長期的視点に立ちながら実施していく予定です。

地震3日後、津波で流された街に入った2hj事務局長は、その壊滅的な状況に言葉を失いました。そして「この状況を立て直すには、長期的、継続的な支援しかない」と強く感じたと言います。どうぞ引き続きのご支援、ご協力を心よりお願い申し上げます。





長期戦になるけれど、やるしかない!2hj事務局長 大竹コメント)


地震3日目の朝、現地入りしました。仙台の「ふうどばんく東北AGAIN」にガスボンベ、重油等を届けた後、CNNクルーに同行し、岩手県陸前高田市に入りました。そこで見た光景は本当に言葉では表せないほど衝撃的なものでした。

余震と津波警報が解除されない中、自衛隊が救援活動を続けていましたが、住人にほとんど出会いませんでした。そこにいた人たちはどこに行ったのでしょう? 街から逃れたのでしょうか?すべては津波に流され、昨日までそこに街があり、家があり、人が暮していたとは信じられない、爆撃を受けた後のような壊滅的な状態でした。

本当にあまりの惨状に自分の無力さを感じました。どれだけトラックで荷物を運んだってこれじゃ追いつかない……。でもしばらくして思い直しました。たとえ大海の一滴に過ぎなくても、今やれることをやるしかないと。

これまで2hjがやってきた活動もそうでした。貧しい人や困窮する人すべてを救うことはできないけれど、それでも少しずつでも地道に、継続的に活動を続けてきた。それこそ大切なんだと感じました。

避難所だけではありません。被災地には物資がなく、スーパーやガソリンスタンドの前には数キロに及ぶ行列ができています。氷点下になる寒さの中、並べるのは若く、元気のある人だけ。お年寄りや体が弱い人や障害のある人など、社会的弱者は完全に取り残されています。こうした人々の支援も必要です。

炊き出しの列に母親と若い娘さんが並んでいました。炊き出しに並ぶのは初めての経験なんでしょう。遠慮がちに申し訳なさそうにしている姿を見て、これまで東京でやってきた「炊き出し」との様子の違いに衝撃を受けました。

これは本当に長期戦になる――2hjがこれまで蓄積したノウハウを活かしながら、活動していきます。


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